城址公園

長野旅行の3 2019_10_07

さて、松代です。
ちょっと遠回りですが、車なら大した距離ではありませんでした。松代城の門前の市営駐車場は無料で、時期がちょっと外れていたのでガラガラでした。

まずは、和菓子屋さんの店先をショートカットして、真田宝物館を見学しました。
松代

内部はけっこう充実した展示でしたが撮影不可につき、全てスルー。小学生の社会科見学の団体が居て、ボランティアの解説のおじいさんが一生懸命解説していたので邪魔にならないように見学。





宝物館を出て、真田邸へ。ここは幕末から使われていて、明治以降は真田家の私邸だったのが、昭和になって寄贈されたものだそうで、平屋の日本家屋です。

その前に公園の恩田木工の銅像を。
松代

真田邸の門
松代

松代

松代

内部に上がって見学も出来ましたが、撮影不可につき、門とお庭の画像だけです。

明治期の大名(華族)の邸宅というとかなり豪華なものという印象があったのですが、たしかに重厚な雰囲気ではあったものの、華美なところは一切無く、いくら広々とした平屋でも、明治になって西洋建築のなんたるかを知ってから、ここに住むのは切ないだろうなあ、と思ってしまいました。




そして松代城跡へ。
松代

松代

松代

松代

松代

松代城は真田家が領有するまでは海津城と呼ばれていました。川中島の頃には当然、海津城と呼ばれており有名な第4次合戦では武田軍の支配下にあってここから立ち上る炊煙が多いことから謙信は武田軍の啄木鳥戦法を見抜いて、妻女山から夜陰に乗じて八幡原に降りて布陣したそうです。
松代

川中島古戦場跡の八幡社の銅像の騎馬で一騎駆けした謙信が床几に腰掛けた信玄に斬りかかるシーンは、この乱戦の中で起こったと言われる名シーンを再現したものになります。
川中島古戦場跡

松代

松代というと、戦国時代は武田、上杉の領有争いがあり、その後は江戸初期に森忠政、松平忠輝などが短期間に次々と統治して、1622年に信州上田から真田信之が13万石で入封して、幕末まで至ります。

真田信之は有名な真田幸村(信繁)の兄に当たる人です。父の真田昌幸の判断で、信之は徳川方、信繁は豊臣方について関ヶ原を戦い、その後の大阪の陣でも信之は出征はしなかったものの徳川側について「家」を守った功績が有る人です。
特に徳川幕府が安泰となってからは、旧豊臣家の家臣たちは次々と難癖をつけて取り潰していったのに対し、かなり付け狙われる立場であったのにも関わらず、非常に長生きして家を永らえたのは、戦争の天才でよく目立つ父昌幸や弟信繁に比べて地味ですが大きな功績です。
また当時としては非常に長命で、4代将軍家綱の時代まで生きています。

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